人と環境と木のはなし
日本人の歴史と木のはなし
日本人の歴史と文化は木を利用してきた歴史と文化と言っても過言ではないでしょう。縄文時代、弥生時代から古代、中世、近世、近代、そして現代に至るまで、木は様々なかたちで私たちの生活に関わってきました。生活の基盤となる住宅、生活道具、工芸品など、それぞれの時代の生活文化や生活様式を代表するものの多くが木製だったといってもいいでしょう。
日本人が、縄文時代の頃から木の種類や性質を使い分けて上手に利用していたことが、日本各地で掘り出される遺跡などから分かっています。
例えば、木を切り倒すための石斧の柄にはヤブツバキなどの堅い木、狩りに使う弓には固くてしなるカシの木、木の器には削りやすいトチノキ、住居の材料にはカシやヒノキ、クリ、シイなどが使われていました。目的によってまさに適材適所使われていたのです。
三内丸山遺跡や登呂遺跡などの古代の集落、歴史的な大型木造建築物が今でも多く残る平城京や平安京の都、それ以降の城や城下町などの町づくりはまさに木材加工技術の変遷の歴史ともいえるでしょう。遺跡や歴史的な木造建築物は当時の木の文化を今に伝えています。
また、そうした歴史の表舞台には出ない庶民生活の中の木を使う文化も、農耕具や家具などの生活道具、工芸やクラフト製品などで生かされ、さまざまな日常生活の場面でいまに伝えられています。
青森県で大型の掘立柱建物群の三内丸山遺跡が発掘されました。当時、すでに大型の木造施設を建設し、また柱穴から発見された巨大柱は腐りにくいように火で焼き炭化処理する工夫が行われていたのです。
法隆寺は1300年の長い歴史を持ち世界最古の木造建築物です。この法隆寺を支える材はヒノキです。1993年にはユネスコによる世界文化遺産に指定されました。
東大寺(世界遺産)の大仏殿は、高さ47.5m、広さは約2,900平方メートルもある広大な建物です。現代のように大型の建設機械がない時代に、直径 1m、長さ30mもの丸太の柱を84本も使っています。使われている木材の量は現代の木造住宅(90平方メートル)約860戸分にもなります。
古代から木を熟知していた日本人
例えば、木を切り倒すための石斧の柄にはヤブツバキなどの堅い木、狩りに使う弓には固くてしなるカシの木、木の器には削りやすいトチノキ、住居の材料にはカシやヒノキ、クリ、シイなどが使われていました。目的によってまさに適材適所使われていたのです。
日本人と木の文化について
また、そうした歴史の表舞台には出ない庶民生活の中の木を使う文化も、農耕具や家具などの生活道具、工芸やクラフト製品などで生かされ、さまざまな日常生活の場面でいまに伝えられています。